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nakumelo’s blog

関ジャニ∞のこと・新喜劇のこと・その他諸々、長い文章で語りたいときはこちらを利用しています。 Twitterアカウント→@EtoileMelimelo

佐藤太一郎企画その18「闘う男」レポ②

  第1作のレポはこちら→http://nakumelo.hatenablog.com/entry/2017/03/05/104435


10分間の休憩の後に始まったのは、「I’m Only Sleeping~赤垣源蔵本人による解説付き~」というお話。タイトルにある「赤垣源蔵」という方の名前は歴史好きな方ならピンと来るでしょう。そう、あの「忠臣蔵」の四十七士のおひとりです。
 
  しかし私自身は高校時代に日本史に関してはほぼ毎回のテストで赤点→追試というバカの王道を突っ走っていた歴史音痴のため、正直忠臣蔵に関してもほとんど知らないという無知にも程がある状態。「こういうお話やるよー」という太一郎さんのツイートを見て慌ててWikipediaやらYouTubeやらで基本情報を叩き込んで挑んだ次第でした。


  幕が開くと赤い布が敷かれた台座と、その後ろに金屏風。さらに太鼓の出囃子という、なんだか落語でも始まるのかい?という雰囲気。そこに現れたのは黒の羽織とグレーの袴というこれぞ和!というような格好の太一郎さん演じる赤垣源蔵。

  タイトルにもあるように、今はすでに故人で幽霊である赤垣本人が、討ち入り前後の出来事を語ります。赤い台座から降りているときは現在の、台座にいるときは当時を生きている赤垣という演出。

  歴史的なあの討ち入りは一年以上の水面下での準備を進めてゲリラ攻撃を仕掛けた為、当然当日まで赤垣をはじめ赤穂浪士たちは身内にすら討ち入りの計画は話していませんでした。そのため世間からは「忠誠を誓った藩主様があんなことになったのにフラフラしている頼りない奴等」と冷ややかに見られていた部分もあったようです。赤垣にとって、義理の姉がその対象でした。
  赤垣には昔から可愛がってくれている兄がいて、度々実家に顔を出して会いに行こうと試みていましたが、いつも不自然にすれ違ってばかり。というのも兄の妻である義理の姉が「大人になってもなお兄に甘えてくる弟は如何なものか」と、赤垣が兄に会わないよう家の者にきつく命令していたためでした。
 
  討ち入りのエックスデーが近づくにつれ、不安で眠れない日々が続き、澄んだ瞳の兄に一目会いたいと思う気持ちが高まっていく赤垣。討ち入りを目前に、どうにか会える機会を作ってもらおうとしますが、願いは叶わず。それならせめて兄の羽織を貸してほしいと仲の良い使用人に頼み、部屋に二人きりにしてもらいます。
  衣紋掛けに羽織を掛け、それを兄と見立て、持参した酒を注ぎ、赤垣は語りかけます。


  「なぁ兄さん、俺は、ちゃんと、誇れることをしているのかな?もっと噛み砕いて言えば……正しいことを、してるのかな?兄さんの眼を見れば、話してみれば、なにかがわかるかなって、思ったんだが……」

 
  討ち入りは、藩主への忠義の名の元に行われるとはいえ、結局やっていることは住居侵入と殺人という犯罪。その場で相手に斬られ絶命する可能性はもちろん、成功したとしても犯罪者として裁かれ、死罪になる運命にありました。四十七士のなかには、赤垣のように、葛藤を抱えながらその日まで訓練と準備をしてきた者も、きっといたのでしょう。

なにかこれといって明確な「答え」をもらえなかったとしても、兄の澄んだ眼差しを見れば、そのまっすぐな声を聞けば、心が晴れると一縷の望みを抱いていたのでした。
 
  徳利の中の酒を飲み干し、「それじゃあな」と羽織の奥に自分にだけ見える兄に別れを告げ、それが最後の「兄弟の会話」となりました。これは本家「忠臣蔵」でも「徳利の別れ」という有名なエピソードのひとつなんだとか。

   そしてついに訪れる運命の12月14日。赤垣たち四十七士は懸命に闘い抜き、ついに最大の敵である吉良上野介の殺害に成功。さらに赤垣に至っては吉良邸を引き上げる直前に消火活動までする律儀ぶりも発揮し、仲間たちと共に一列に整列して吉良邸を出て、忠義を誓った藩主・浅野氏の眠る寺へ仇討ちの報告へ。


   その後の四十七士を待っていたのは、やはり当然のように、切腹による死刑。あれだけ眠れない夜をすごしていたのに、これからはずーーっと眠り続けるんだな、と笑う赤垣。

  
「物語のなかでは、四十七士は潔く、そして美しく、忠義の名の元に、死んでいく。

でも、もう今なら……本当のことを言って、いいよね。

俺は、生きたい。生きたい。生きたい………生きたいっ……!!」
 
 

  笑顔が段々と消え、最後は涙を堪えるように絞り出す声。英雄と讃えられるより、家に名誉を残すより、叶えたい心からの願い。そしてそれはきっと、この世に生きる誰もが持つ本能。

  そしてやってくる運命の瞬間。紙吹雪が舞う中、赤垣は台座中央できちんと正座をし、扇子を刀と見立て、ゆっくり自分の腹部へ近づけます。刺し込む手前でふっとやわらかく微笑むと、次の瞬間扇子の刀がぐいっと入り込み、目が大きく見開いたところで暗転し、2作目は終了。

後から調べたところ、このラストシーンのときに流れていた曲が、このお話のタイトルにもなっている「I’m Only Sleeping」というビートルズの楽曲だったようです。直訳すると「私は寝ているだけ」という意味ですが、このお話においては「俺は今は長い長い“眠り”についているだけなんだ。死んでいない。生きているんだ」という赤垣の意地の表れなのかな、と考えたりもしました。

 
  二つのお話は、天使と幽霊というという「人間ではないもの」の存在から、人間が持つ本質、そして本能である「生きること」とは、恐れや見得といった自身の弱さ、残酷な現実や運命にも立ち向かって闘っていくこと、どんなにあがいてもがいて何度傷ついて倒れても逃げないで前へ進むことなのかな、と思いました。だからこそ、命は、人生は、美しく素晴らしいものなのではないか、と。
 
  終演後、アンケートを書いて帰ろうとすると出入り口で太一郎さんが出てきてくれました。先程熱演を終えたばかりなのに、このあとも夜公演が待っているのに、疲れも見せず、笑顔で観客一人一人と握手や言葉を交わしていました。私もその列に並び、写真撮影をお願いしました。「スタッフさんへ紅茶の差し入れをお願いしたのでぜひ召し上がってほしい」と緊張でしどろもどろになりながら話して、そんな私の言葉も「わー!ありがとー!喉乾いてるからうれしいわぁ♪」と笑顔で応えてくださって、まだ熱の冷めやらぬあたたかい両手で包んで握手してくださり、「今日はほんとにありがとう!」と本当に丁寧に接してくださる神対応ぶりでした。

  太一郎さんの企画するお芝居には「情熱」という言葉がよく似合う必死さがあって、でもそれは押し付けがましい暑苦しさではなく、見たあとに灯火のようなほっとして、そしてまた頑張ろうと思えるあたたかさをくれるものなのだなと思います。今回は完全なるソロ公演ということで、不安もあったかもしれませんが、そんな彼の情熱を知るたくさんの方たちが駆け付けて、感動を分かち合った素敵な公演でした。