nakumelo’s blog

考えたことややってみたことをとにかく書いてみるブログ Twitterアカウント→@EtoileMelimelo

ルイジ・ルキーニと月城かなとのグランデ・アモーレ

「『あーーしんどい、死んじゃう~』って愚痴った途端、めちゃくちゃキメ顔で『死ねばいいッ!!』て言ってくる子がいたらその子はヅカヲタ」



こんなあるあるがあるほど、宝塚では超メジャー級大作のミュージカル「エリザベート」。


私もぼんやりした予備知識こそありましたが、全編通して見てみようとまで思えませんでした。


そんな私が「エリザベート」、そして、ひとりのキャラクターとそれを演じたタカラジェンヌに急速に興味を持つ出来事が、この春ありました。


きっかけはTwitterから流れてきた、こんな目撃情報。


Sexy Zoneマリウス葉くんが月組エリザベートを観劇。それを見つけたルキーニのれいこさんが「鳩がでマリウス!」っていじってた】


マリちゃんはママが元ジェンヌさんで、自身も女の子ならジェンヌさんになりたかったほど宝塚とは繋がりの深い子。
へぇ~マリちゃん観に行ったんだー。ほんと好きだなー。宝塚で客席いじりなんてあるんだな。なかなかナイスなイジりするじゃん、この……ルキーニ?れいこ?って人?どんな人なのかな?


そんな軽い気持ちで、「ルキーニという役のれいこ」さんが「月城かなと」さんということをすぐ突き止め、試しにお顔を見てみようと公式HPの宣材写真をクリック。

宝塚では基本そのとき行っている、または次の公演までは最新の公演での役のメイクでの宣材写真になるようで、当然月城さんの写真も役のルキーニの姿。



パッと画面が変わった瞬間、もうすべてがひっくり返りました。






「やっべぇ………超悪そうでカッコいい……ワァなにこの人!?え、ほんとに、女性なの!?嘘でしょ!?(;゚nn゚*)ヤバイヤバイほんとカッコいい……!!」





とにかくかっこよかった!!!



ルイジ・ルキーニは物語の狂言回しを担当するイタリア人テロリストで、最終的にエリザベート皇后を暗殺する、いわば悪役。そのルキーニになりきった月城さんは、黒のジャケットに黒と白のボーダーシャツに身を包み、髭面でギロギロとした目付きでこちらを挑発的に睨み付けてくる……にじみ出るワル感たまらねぇ!!


エリザベート」はタイトルになっているエリザベートと例の「死ねばいいッ!!」のトート閣下との複雑怪奇なラブストーリーだと思い込んでいた私の意識はガラッと変わりました。


このどちゃくそ悪そうで、でもたまらなく美しく魅力的なルキーニが、どうストーリーに関わるか見てみたい!!


公演自体はすでに終了していたのですが、宝塚公式から円盤が出ていると知り、2週間ほど悩んで、ついにブルーレイを購入。なかなかのお値段でした……


で、観てみた感想と考察です↓


【・月城ルキーニは「悪役」で収まらない「狂人」だった。

・恐らくトートはこいつが作った妄想の産物で、こいつの言いたい本音は全部トートが代弁してる→ルキーニはエリザベートが好き

・ルキーニの言う「グランデ・アモーレ」は、ルキーニ自身がエリザベートに対して持つ「執着」という形の歪んだ愛のこと】



率直に申し上げて、月城ルキーニは、とにかく陰気で異質。サイコパス。どこか全体をバカにしたような妙に落ち着いた喋り。ギョロギョロした目付きで時々白目になりそうな勢いでこっち向いてくるし、何よりことあるごとに発せられる「ウハハハハハ」というひくーーい声で地を這うような笑い方……近所にいたらなるべくゴミ出しのときとかで鉢合わせたくないタイプ。おっかねぇ。


こんなトチ狂った男が、常に一人の皇后の人生とそれに関わる国勢を見つめ、つらつらと話し、そして最終的に殺す。動機は一貫して「『死』(=トート)が皇后を愛し、皇后もまた『死』を愛していて、俺は『死』に依頼されて殺した。これこそグランデ・アモーレ!偉大なる愛!!」という「アホか!?」と言いたくなりそうな一見わけのわからないもの。これを狂気と言わずなんと呼ぼうか。


元々エリザベートとルキーニは実在した人物と事件がモチーフ。そこに「トート=死の概念」というファンタジー要素を加えたのがこの作品。


だからルキーニが最後エリザベートを殺す展開なのはまぁしゃーないとして、宝塚的に「トップ男役スターとトップ娘役スターの恋愛物語」にしたいなら、例えばトートが最後の最後ルキーニという人間に成り代わって暗殺する、とかでもいいわけです。それまでトートはさんざんエリザベートを自分のいる黄泉の世界へ連れていく=死なせる ために色々と伏線張り巡らせて国を巻き込んでまで不幸のどん底まで突き落としまくってるわけですから。それぐらいやろうと思えば簡単にできるはず。

なのになんでわざわざルキーニに頼んだんだ?そしてルキーニは閣下をやたら慕っているけど、お前らいつどこで出会ったの?

舞台はルキーニの回想という形で進んでいるのですが、ちょいちょいルキーニ自身も当時の人物になりきって、荷物持ちをしたりカフェの店員になったりして関わっていく場面もあります。とはいえあくまで回想なので過去を大きく変えない程度に。

よく考えたらもうこの時点でおかしい。なんでこの人こんなに時空を飛び越えられるの?実際にルキーニ自身が確実に存在したのはあの暗殺実行日のときだけのはず……エリザベートがシシィと呼ばれていた少女時代にはそもそもルキーニは生まれてすらいないはずなのです。暗殺時のルキーニは20代後半~30歳くらいですが、エリザベートはこのとき60歳でした。


・本来トートが出来るはずのトドメをルキーニがやる意味

・回想で本来自分がいない時代にも顔を出し、そのときどきの出来事へ参加している

・トートとルキーニの関係性の謎


これらのことと、始終見せつける月城ルキーニの「見事なまでの狂いっぷり」から、「この回想は正確なものではなく、史実を交えつつトートというオリジナルキャラクターを加えてルキーニが創作した妄想」と思えてきます。トートはルキーニにとって「自分ができなかったエリザベートに関わることを実行・発言してくれる代理人」的存在なのでしょう。


となると、トートがエリザベートへ向けて事あるごとに発していた「愛している」はルキーニがトートへ言わせているのか=ルキーニ自身がエリザベートを愛していたのか ともなってくるわけです。

トートが自身の目的達成のためルキーニを必要としたのではなく、ルキーニが自身の目的達成のためのストーリーを美しく描くためにトートが必要だったのではないかと。


よく考えたらルキーニはめちゃくちゃエリザベートに関して詳しい。「お土産のマグカップに描かれた笑顔はキッチュだ!俺は知っているんだ!本当のエリザベートを!!」って歌っているところ、冷静に聞くと「逆になんでお前はこんなに知っているんだよ」と尋ねたくなる。

たぶん、めっちゃ好きで調べまくって、足りない部分はそこから妄想しまくったのかな。なんだそれヲタクが推しに対してよくやっていることじゃねーか!!今まさにこれを書いている私とおんなじじゃねーか!!

単純にエリザベート激推しとしてやっていけたら別の幸せが待っていたのかもしれませんが、そこは狂気のアナーキスト。まっすぐな愛ではなく「好きだけど同じくらい憎たらしいから殺す」というガチ恋をこじらせまくった最悪の結末を作ってしまったようです。


エリザベートは大変美しく「自分自身」というものをとても大切にする凛とした姿勢を貫いていたので、一目惚れする国民も多かったはず。実際それを武器にオーストリーが統治していたハンガリーでの人気を獲得したほどだし。ルキーニもそんな風に彼女に魅了された一人だったのかもしれません。

ただ、エリザベートはあまりにも「自分」を大切にしすぎていて、国民や家族と向き合うことをしなかった面もしっかり描かれているので、そういう部分を知ったときルキーニは憎しみも生まれたのかもしれないな、とも思ったのです。ヲタクにとって推しには「この人を好きになってよかった」と思わせてくれるような言動や活動をしてほしいものですから。


また、当時の二人の立場として王家と平民というどうやっても乗り越えることが出来ない間柄。言葉を交わして愛を伝えることすら出来ない。ルキーニはエリザベートのことを知っているけどエリザベートはルキーニのことを知らない。一方的すぎる愛からの「殺せばこの皇后の運命は俺が支配することになる。それは皇后が俺のものになったことと同じことになる」ということであの暗殺かな、というパターンも考えられます。どっちにしてもだいぶこじらせてるな。


で、いざ自分が死んで煉獄の裁判で尋問にかけられたときには、この歪んでこじれた愛を美しく壮大な物語にするために、トートという存在を創ったんじゃないかと……うーーんこじらせてる!!狂ってる!!まさにキッチュ!!


実はそんなルキーニの、狂気のなかに数パーセントだけ残る「純粋な恋心」が見えかくれする瞬間もあります。


回想がいざ始まり、シシィと呼ばれていた少女時代のエリザベートが出てきたとき。それときまでギラギラしまくっていた挑戦的な目だったのが、そのギラつきが収まり、しばらくじーーっとひたすら静かにシシィを見つめているのです。驚くことも慌てることもなく、ひたすら静かに凝視。いざ憧れの人が表れると無の表情になる、みたいな。

あとはバートイシュルでのシシィとのやり取り。ルキーニはシシィ一家の荷物持ちとして出てくるのですが、そのときのシシィとの絡みが、後に暗殺する相手だというのにとても微笑ましい。暑いよ~とうなだれるシシィに帽子を団扇替わりにパタパタ扇いであげたり、「お父さんさっきどっか行っちゃったけどいいの?」「シーーッ!!ママには内緒!!」みたいなやり取りしてたり……お兄ちゃんと妹みたいな雰囲気すら出ています。

当時公演を観に行った方のレポを読むとここは毎回アドリブで色々とふたりでやっていたようです。出会いの形さえ違えば二人は仲良くなれたのかもしれない……



そういうのも全部ひっくるめての、ルキーニのあの「グランデ・アモーレ!!」なんでしょうかね。どんな形だったとしても正当なやり方じゃなかったとしても、これは間違いなく俺の偉大なる愛なんだよ!!っていう彼の主張を全部具現化したのが、この作品なのかなと。



もちろんこれらは今回の2018年月組公演で、さらに月城さんが演じたルキーニからあくまで私が導いた考察です。観る人や演じる人によって解釈は無限になる作品だと思います。どのキャラに感情移入するかでもずいぶん違う見方になるだろうし。


エリザベート」という作品のすごいところは、物語のなかにうまいこと「余白」を作って、その「余白」が本当はなんだったのか役者や観客に考えさせるようにしてくれていること。

そして、その「余白」を「狂気」で色づけることによって、強い説得力を持ってルキーニを演じた月城さんの確かな演技力・造形力・表現力といった「実力」。
そしてそれらの確かな「実力」が、どんなにサイコパスで小汚ない役だったとしても、怖れられはしても嫌がられることなくむしろこうして観客を惹き付ける彼女特有の余すことなくにじみ出る「美しさ」になるのだと思い知らされました。


ここ5年近く吉本新喜劇しか見てこなかった私をここまで夢中にさせるのだから、恐るべしエリザベート!!恐るべしルキーニ!!恐るべし月城かなと!!


ちなみに宝塚の公演ではお芝居のあとはショーをやるのがお約束で、ここでは月城さんは髭を落としたルキーニメイクで、しかし服は軍服となってパレードへ登場します。シシィにお風呂に入れてもらって綺麗なお洋服を着せてもらったのでしょうか、暗殺者だったのが一気に王子さまへと変身したかのような美形っぷりを見せてくれます。このギャップもヤバイな~(゚ヽ゚*) 

さらにここでもトドメとばかりに「この俺だけが知っていたエリザベートの愛の真実!!」と高らかに歌いあげるグランデ・アモーレっぷりを見せつけてくれます。ほんとに好きなんだねあなた(笑)


なんでもこのルキーニ役は宝塚では、やりとげたジェンヌさんは後にトップになれるというジンクスまであるほど人気と実力を試される役なんだとか。月城さんも是非頑張っていただきたい!!